RE Model car Museum

1/43RE車ミニカーBLOG

'77 マツダ ルーチェ・レガート

当時の日本車はいずれも
そんな雰囲気を持っていたとはいえ、
アメリカンマッスルカーの影響が強かった
2代目ルーチェからモデルチェンジで
がらりと変わり、
まだまだアメ車の影響が強いながらも
落ち着いた雰囲気のサルーンになります。

これは先に紹介したロードペーサーを継ぎ
高級サルーンのポジションまで
カバーする必要があったのが影響しています。

2代目から3代目への変化は
あまりに大きかった為、当初は併売とされて、
3代目はルーチェ・レガートを名乗りました。

ロードペーサー亡き後、コスモAPと共に
事実上マツダのツートップを張ったのが
このクルマなのです。

海外輸出名はマツダ929、またの名をRX-4!
その見た目に騙されてはいけません。

マツダ ルーチェ・レガート 1/43 ノレブ製

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車種体系が不明瞭なことで知られるマツダ
バブル期の混乱が有名ですが、
70年代の車名も割と混乱しており、
ルーチェ・レガートも
後に「普通の」ルーチェへと改名しています。
他もファミリア・プレストに、
グランドファミリア……
併売やサブネーム、
ビッグマイナーチェンジでの名称変更等、
なかなか込み入っているのです。

ボディはセダンとハードトップの2本立て。
ですが、その差が私には殆ど分かりません。
このミニカーは恐らく
ハードトップだと思うのですが……
(どなたか詳しい方教えて下さい!)


この頃になるとマツダ
レシプロエンジン向きのクルマと、
ロータリーエンジン(RE)向きのクルマを
分けて考えるようになりますが、
まだまだトップグレードはREで
2代目から引き続き13B型REを搭載します。

何故ならば、マツダは6気筒エンジンを
この時代は持ち合わせていません。

トヨタと日産の二大メーカー以外は
長らく6気筒エンジンは
ラインナップに存在しなかったのですね。
(三菱デボネアなど例外もあります)

つまり、ハイパワーが求められる
スポーツカーと高級車の心臓は、
マツダにおいては
RE以外選択肢はありませんでした。

むしろ、選択肢として残されているだけ
恵まれていたのかもしれません。

 

この事実は70~80年代の
国産チューニング業界にも顕著で、
ゼロヨンと最高速において
日産のL型直列6気筒エンジンと、
トヨタのM型直列6気筒エンジンに
伍して戦えるエンジンはRE以外には
存在しない時期すらあったのでした。

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ミニカー自体の出来として、
細部の再現性は
実車を詳細に知らないこともあって
なんとも言えないのですが、
ロードペーサーと比べても彫が深く、
5ナンバーサイズとは思えない
貫禄あるデザインは表現されています。

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この貫禄に一役買っているのは
縦目2灯角ライトでしょう。

同時期のアメリカンフルサイズの
ダッジモナコの顔に似ていることから、
そこから影響を受けたとよく言われますが、
ダッジモナコの縦目2灯顔への
マイナーチェンジは
ルーチェ・レガートの発売より後なんですね。

それよりも、当時のトヨタチェイサーに
似せない様に縦目2灯顔にしたという話が
真実に近いのではないかと思っています。


そんなアメ車顔のルーチェ・レガートですが
後のマイナーチェンジで
異型ヘッドライトに変わり
今度はベンツ風の顔へと変身します。
ついた渾名は広島ベンツ。

いいえて妙な渾名ですが
確かにその時期、80年代からは、
ヨーロッパ志向のデザインとハンドリングに
なっていくマツダを端的に表しています。

以後のルーチェはセンティア/MS-9導入により、
モデル廃止になる5代目ルーチェまで
その方向性は一貫してヨーロッパ志向でした。

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気がつけば、BLOGを始め一月が経ちました。
ジャンル柄、レスポンスに乏しいのですが
アクセス数は励みになります。
いつもありがとうございます。

それにしても皆、RX-7が好きですね。
RX-7の記事とそれ以外のクルマの記事だと
なんとアクセス数が2~3倍は違うのです。

マイナー車ミニカーの記事の方が
力を入れて書いているつもりなのですが、
アクセス数には直接結び付かないんですね。
ルーチェ・レガートのこの記事も
きっと実車の不人気振りを
証明してくれるに違いありません……

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